僕は山の経験年数はかなりのモノがあると思っていますが、山に行ったら必ず撮影をして帰ってきますのでこれまでの積算撮影枚数は把握しきれないほど膨大な量となっています。しかし、その膨大画像をもってしても、今後の復刊の作業にあたって「何か足りない気がする」と思い始めています。
というのも、撮影枚数イコール「使える画像枚数」ではないからです。帰ってきてシルキー(PC)で見てみると「アチャーこれは失敗撮影だなぁ」というものもたくさんあるのです。さらにグラデーション撮影の画像になると枚数が限られてきますのでなおさら「書籍に画像を使用するには枚数が足りない」という事になってしまいます。
今までも十分撮影にチカラを入れて山のアタックに臨んでいましたが、さらに撮影頻度を上げる事も視野に入れないといけないかも知れません。そうなると山での行動時間を増やす以外に方法はない事になりますが、僕ももうジイサンなのであんましムリしない方がイイかなぁ。イヤァー(使える)画像が足りない困った。
で、今日の作業はココまで、明日の山の準備に入りますが、今のところアタック帰還後の長文ブログネタはほとんどありません。このまま霊団がダンマリを決め込んでくるなら物的ブログを書いてやろうかと思ったりもしてます。ずっと心に温めてある状態で書けずにいるものとかあるので、それ書いてやろうかと思ったりもしてます。
霊団の仕事やる気ゼロの態度がムカムカしてどうしようもありませんが、明日は一応グラデーションが撮れそうな天候ですので、まずは撮影に集中中。ちなみに山の行動時のドリンクに問題を抱えていまして、ここ最近はずっと白湯でアタックしていたのですが、明らかにゴール間近になるとフラフラしてくるのを感じて「このまま行くと悲劇がやってくるかも」という危機感が襲ってきていました。
ゴールした駐車場にある自販機で三ツ矢サイダーとか買ってがぶ飲みしたりしちゃうんですよ。つまり明らかにエネルギーが枯渇している、白湯に問題があるという事です、当たり前ですよね、山で大汗かいて白湯飲むって通常有り得ませんからね。
で、先週からテストでホットカルピスを導入したらガブガブ飲める。身体的、エネルギー的にも今のところ問題なさそうなので、しばらくホットカルピステストを続けてみるつもりです。このカルピスは山以外で飲んじゃダメ、日常生活もガブガブ飲むと100%太る。事実1kg増えました。で、飲むのやめて体重戻りました。そこだけ要注意。ハイ一旦切ります(祈)†
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が、ついに守護霊が手を差し出された。そして、更に2歩3歩進んだところでその手を掴むことが出来た。するとすぐに、足もとのしっかりした場所へと私を引き寄せて下さった。
見ると、はや光の橋は薄れていき、私の身体はすでに谷の反対側に立っており、その谷の向うに第10界が見える。私は天界の光とエネルギーで出来た橋を渡って来たのであった。
それから2人は腰を下ろして語り合った。守護霊は私のそれまでの努力の数々に言及し、あの時はこうすればなお良かったかも知れぬなどと述べられた。褒めて下さったものもあるが、褒めずに優しく忠告と助言をして下さったこともある。決してお咎めにはならなかった。
又そのとき2人の位置していた境界についての話もされた。そこの栄華の幾つかを話して下さった。さらに、そのあと第10界へ戻って仕上げるべき私の仕事において常に自分が付き添っていることを自覚することがいかに望ましいかを語られた。
守護霊の話に耳を傾けているあいだ私は、心地よい力と喜びと仕事への大いなる勇気を感じていた。こうして守護霊から大いなる威力と高き聖純さを授かり、謙虚に主イエスに仕え、イエスを通じて神に仕える人間の偉大さについて、それまで以上に理解を深めたのであった。
帰りは谷づたいに歩いたのであるが、守護霊は私の肩に手をまわして力をお貸し下さり、ずっと付き添って下さった。谷を下り川を横切り、そして再び山を登ったのであるが、第10界の山を登り始めた頃から言葉少なになっていかれた。
思念による交信は続いていたのであるが、ふと守護霊に目をやるとその姿が判然としなくなっているのに気づいた。とたんに心細さを感じたが、守護霊はそれを察して、「案ずるでない。汝と余の間は万事うまく行っている。そう心得るがよい」とおっしゃった。
そのお姿はなおも薄れて行った。私は今一度さきの場所へ戻りたい衝動に駆られた。が、守護霊は優しく私を促し、歩を進められた。が、そのお姿は谷を上がる途中で完全に見えなくなった。そしてそれきりお姿を拝することはなかった。
しかしその存在はそれまで以上に感じていた。そして私がよろめきつつも漸く頂上に辿りつくまでずっと思念による交信を保ち続けた。そうして頂上から遠く谷越えに光輝あふれる11界へと目をやった。しかし、そこには守護霊の姿はすでに無かった。
が、その場を去って帰りかけながら今一度振り返った時、山脈伝(づた)いに疾走して行く1個の影が見えた。さきほどまで見ていた実質のある形体ではなく、ほぼ透明に近い影であった。それ太陽の光線のように疾走するのが見えたのである。やっと見えたという程度であった。
そしてそれも徐々に薄れていった。が、その間も守護霊は常に私と共に存在し、私の思うこと為すことの全てに通暁しているのを感じ続けた。私は大いなる感激と仕事への一層大きな情熱を覚えつつ山を下り始めたのであった。
あの光輝あふれる界から大いなる祝福を受けた私が、同じく祝福を必要とする人々に、ささやかながらも私の界の恵みを授けずにはいられないのが道理であろう。それを現に同志とともに下層界の全てに向けて行なっている。こうして貴殿のもとへも喜んで参じている。自分が受けた恩恵を惜しみなく同胞へ与えることは心地よいものである。
もっとも、私の守護霊が行なったように貴殿との間に光の橋を架けることは私にはできない。地上界と私の界との懸隔が今のところあまりに大きすぎるためである。しかし、イエスも述べておられるように、両界を結ぶにも定められた方法と時がある。
イエスの力はあの谷を渡らせてくれた守護霊より遥かに大きい。私はそのイエスに仕える者の中でも極めて霊格の低い部類に属する。が、私に欠ける聖純さと叡智は愛をもって補うべく努力している。
貴殿と2人して力のかぎり主イエスに仕えていれば、主は常に安らぎを与えてくださり、天界の栄光から栄光へと深い谷間を越えて歩む吾々に常に付きそってくださることであろう。†イヤ「悲しい」とは言ってきます。そう言われて一体どうしろというのか。僕はこれ以上はムリという限界の限界まで振り絞って努力している。「イエスの成年時代」「イエスの弟子達」の書籍データ作成も開始しています。もうこれ以上がんばりようがないところまでやっているつもりですが、それで悲しい言われる。一体何がどうなっているというのでしょうか。
AffinityPhotoのアドオンが50%オフの間に入手しておくべきだという事で結局アドオンを4つ手に入れました。もうこれで止めます、これらを書籍表紙の描画にフル活用します。で、チョトアドオンに数字を取られてしまったのでおーふぁん的なモノがまた来月にズレ込んでしまいますが、いよいよ殺人的にメンドクサくてやりたくなかった作業に着手せざるを得なくなるでしょう。
一応目標としては5月末までに1冊目の書籍をAmazonでペーパーバック、電子書籍のふたつを揃えて販売開始状態にもっていくつもりです。たぶん次月にズレ込むでしょうがとにかくやる以外に脱出の方法がないので進めます。年間目標としては年5冊ペース、できるなら年6冊ペースで復刊し続けるという考えでいます。
というのも、年4冊ペースだと僕が物質界に残されている間に70冊超の霊関連書籍の復刊が達成されずに僕が帰幽してしまうという計算になってしまうからです。最低でも年5冊ペースを維持しないと70冊超全ての復刊が達成されないという計算なのでそういう目標にしているという事です。口で言うのと実際にやるのとでは天と地の差があるのですが。
次回長文ブログがピンチです、今のところ全然ブログネタとなるインスピレーションが降っていません。もうヤダこの人生、いつまでやらされるんだ。何としても打開してやる。
とはいえ僕の人生はもはや完全に霊団の手の中にあるので打開できず閉じ込められて終わる可能性が濃厚ですが、そう言われてあきらめながら下を向いて生きるのはまっぴらゴメンだ。最後の1秒まで悪あがきしてやる。「イエスの少年時代」の表紙を悩みつつも描きます(祈)†どうしても宗教画のマネをしたくない、そういう雰囲気にしたくない(僕は宗教と名の付くモノを心底毛嫌いしていますので)しかしあまりにも現実とかけ離れている絵を描いてしまうのもどうなのか、本が本なだけに(イエス様を題材にした本なので)テケトーな絵を描く訳にもいかない。
アレコレ迷いつつも描かない訳にもいかないので一応原稿用紙に線画を描き始めています。んー、どうなんだろう、イヤもう描くしかない止まる訳にもいかない。この表紙の絵は問題アリかも知れません。
今回の「イエスの少年時代」の表紙には「ある人物」をスゴク描きたかったのですが、その人物の資料が全くないので完全に僕の独断、あてずっぽうで描く事になってしまうため「さすがにそりゃマズいだろう」という事でその人物を登場させるのを泣く泣く取りやめました。描きたかったのに残念。
「イエスの成年時代」「イエスの弟子達」の表紙に登場させるつもりの人物もだいたい決めてあるのですが、その人物をググるとどうしても宗教画が出てきてしまうのです。どうしても僕はコッチの雰囲気にしたくないんです。コッチに行くくらいならキャラキャラした方がイイ。
「イエスの少年時代」AffinityPublisherへのテキスト流し込みは完了してます、さらに作業スピードをアップさせる事に成功しています。あとは既にやった事ですがもう一度最終校正をやった方がイイでしょう、これがシチメンドクサイ。しかしやるしかない。
霊団から相当に絶望的な事を言われていまして気持ちが散逸状態ですが「感情と手は別レイヤー」ですから作業だけは何が何でも続行させねばなりません。自動書記テストも続行してますが、そのトランス時に霊団がまたムカつく事を言ってくるんですよ。しかしもうやる以外にないんだ(祈)†私は今、連なる山々の1つの頂上に立っている。すぐ目の前に小さな谷があり、その向うに別の山があり、更にその向うに別の山が聳えている。焦点を遠くへやるほどその山を包む光輝が明るさを増す。
が、その光はじっと静かに照っているのではない。あたかも水晶の海か電気の海にでも浸っているかのように、ゆらめくかと思えば目を眩ませんばかりの閃光を発し、あるいは矢のような光線が走り抜ける。これは外から眺めた光景であり、今の私にはこれ以上のことは叙述できぬ。
川もあれば建物もある。が、その位置は遥か彼方である。芝生もあれば花を咲かせている植物もある。樹木もある。草原が広がり、その界の住民の豪華な住居と庭が見える。が、私はその場へ赴いて調べることはできない。ただ、こうして外観を述べることしかできない。
それでも、その景色全体に神の愛と、えも言われぬ均整美が行きわたり、それが私の心を弾ませ足を急(せ)かせる。なぜなら、その界へ進み行くことこそ第10界における私の生活の全てだからである。
託された仕事を首尾よく果たした暁には、その素晴らしき界の、さる有難きお方(※)からの招きを受けるであろう。その時は喜び勇んで参ることであろう。(※ザブディエルの守護霊のこと。その守護霊にも守護霊がおり、そのまた守護霊がおり、連綿として最後は守護神に至る。 – 訳者)
が、このことは貴殿も同じことではなかろうか。私とその遥か遠き第11界との関係はまさに貴殿と他界後の境涯と同じであり、程度こそ違え素晴らしいものであることにおいては同じである。
この界につきてはまだ僅かしか語っていないが、貴殿の心を弾ませ足を急かせるには十分であろう。ここで再び貴殿をさきの空地へ連れ戻し、あの彫像の如く常に目をしっかりと上方へ向けるよう改めて願いたい。
案ずることは何1つない。足もとへ目をやらずとも決して躓くことはない。高きものを求める者こそ正しい道を歩む者であり、足もとには吾々が気を配り事なきを期するであろう。
万事は佳きに計らわれている。さよう、ひたすらに高きものを求める者は万事佳きに計らわれているものと思うがよい。なぜなら、それは主イエスに仕える吾らを信頼することであり、その心は常に主と共にあり、何人たりとも躓かせることはさせぬであろう。
では、この度はここまでとしよう。地上生活はとかく鬱陶(うっとう)しく、うんざりさせられることの多いものである。が、同時に美しくもあり、愛もあり、聖なる向上心もある。
それを少しでも多く自分のものとし、また少しでも多く同胞に与えるがよい。そうすれば、それだけ鬱陶しさも減じ、天界の夜明けの光が一層くっきりと明るく照らし、より美わしき楽園へと導いてくれることであろう。†今日明日中に描き始めるつもりでいたのですが、キャラデザがまだ固まりませんのでモチョト時間がかかりそうです。「シルバーバーチの霊訓3巻」のテキスト見直しを続行しつつ「イエスの少年時代」の書籍データの作成を続行しつつ、表紙用のキャラデザを煮詰めましょう。
霊団からは絶望的な、突き放すような事を言われていますが、そう言われてどうしろというのか。僕は僕にできる事を最大限やっている、これ以上努力できない限界の限界までやっている。何を言っているのかサッパリ意味不明。次回長文ブログも暗雲が立ち込めていますがまずは眼前の作業に集中するより他にどうしようもありません。
書籍データはガンガン作り続けていくのです。作れば作るほどあとあと自分を助ける事になるはずだからです。先行、先行、とにかく作りまくる(祈)†